通訳という仕事

通訳は言語が違い話の通じない人の間に立って相手に伝えること

広辞苑によると、通訳とは「互いに言語が違うために話の通じない人の間に立って、そのことばを訳して相手に伝えること。またその人。」とあります。

翻訳者とは異なり、通訳はその場で生配信されることばを扱います。舞台はいつもぶっつけ本番。交わされる言葉の裏にある真意やニュアンスを、発せられる言葉からだけでなく、話し手の表情やジェスチャーから瞬時に汲み取り、的確に言語変換をして相手に投げ返すのです。

話し手が話す長さ(尺)に応じて、言葉を巧みに選び、テンポや流れ、ノリを乱すことなく会話を成立させることも求められる、まさに至難の業です。

以前私がイギリスに住んでいた時、はるばる日本から母がたずねてきてくれたことがありました。

現地の友人が、母をもてなそうと私たち母娘を色々な観光地に連れ出してくれたのですが、母は全く英語を解さないので、ちんぷんかんぷんといった様子でした。

私も何とか母を楽しませようと、友人との会話の橋渡しを試みたのですが、長いイギリス生活で、咄嗟に日本語がでてこない……

私の頭の中の「日本語スイッチ」は完全に錆び付いていたのです。


友人と母との会話のテンポはぎこちなく乱れ、気まずそうに間を持て余す2人……

「通訳のように、流暢にこの2人の思いを伝え合うお手伝いができたらどれほど良かったか……」と自分の無力さを思い知ったのでした。

それから時が流れ、私自身が母親になった時、ある気づき

息子が2歳近くなったころ、少しずつ2語文(「ブーブーきた!(車が来た!)」や「てて した。(手を繋いだ)など」)を話すようになってきました。

時には息子独自の造語もあり、他の人が聞くと何を言っているのか理解できないこともしばしば。
けれど母親である私には、息子が何を言わんとしているか、理解に苦しむことはありませんでした。みなさんの中にも、このようなご経験がある方もいらっしゃると思います。

私は、無意識のうちに自分の頭の中で、大人が話す言葉と、息子が話す言葉のスイッチを自由に切り替えることで、スムーズに息子と会話をしていたのです。

この無意識の脳内スイッチ操作を英語⇔日本語でスムーズに行うことが、通訳に求められるスキルの1つなのだと気が付いたのです。

通訳はあくまで会話の橋渡し役であるので、脳内スイッチを柔軟に切り替えながら、話し手のニュアンスや意図を、「それ以上でも、それ以下でもない」状態で相手に伝えなければなりません。

通訳が会話内容に感情移入するあまり、話し手以上に感情的になったり、またその逆に冷静すぎても会話は成立しません。

臨場感溢れる会話を成立させるたいという、通訳としてのホスピタリティと、会話の進行を妨げない冷静さの狭間で、的確に、そして巧みに言葉を選ぶことの難しさに、この仕事のやりがいがあるのではないでしょうか。